読書メモ

個人的な読書メモ。それ以上でも以下でもありません。

モラルの起源 ── 実験社会科学からの問い (亀田達也)

はじめに

本書の問い = 人間とは何か?

本書の基底をなす問いは、「チンパンジーは人間と同等の高い数学能力や言語能力を手にすれば、今の人間社会と同じような社会を生み出すのだろうか?それとも、人間社会のような社会を生み出すには、他の能力や性質が必要なのだろうか?」というものである。

人文学とは人が人である所以を研究する学問であり、その意味で、人文学ド真ん中の問いに挑む研究だと言える。

本書のアプローチ = 実験社会科学

本書では道徳の起源を探るにあたって、実験社会科学という方法論をとる。実験社会科学とは「実験」という手法を用いて、人間の行動や社会の振る舞いを研究する学問である。ここでの「実験」とは、狭い意味での実験=ラボ実験だけを指すのではなく、フィールド実験や調査、コンピュータ・シミュレーションなども含む、広い意味での実験である。これまで、社会科学の各分野が、それぞれの視点からバラバラのアプローチを取っていたのに対して、実験という厳密な共通のプラットフォームを設けることで、各分野間での議論を可能にする点に、実験社会科学の意義がある。

読む動機

私自身の問題意識として、「人間はどのようにプログラムされた存在なのか?」「社会規範はどのようなメカニズムで内面化されるのか?」「社会規範はどの様に生まれ/維持され/変化していくのか?」などがある。ここでいう社会規範とは、社会のルールと言うよりも、人間の行動パターン、避けようと思っても避けがたい行動パターンのことを指している。こういったことに興味を持つのは、生きていて個人的に感じる不自由さや、社会を観察したときに感じる不条理さなどに、その端緒があるのかもしれない。

私の「人間はどのようにプログラムされた存在なのか?」という問いは、本書の問いを、人間や社会が人間の思うままにならない側面を強調した問いであり、タイトルの「道徳」は「社会規範」の典型だ。私自身の問題が、これまでどの様に研究されてきたかを知るために有用だと感じ、本書を手にとった。

第1章 「適応」する心

1. 社会行動を理解するための3つの時間軸 (進化時間 / 歴史・文化時間 / 生活時間)

生態学や進化生物学では、「生物Xは環境Yでの生活に適応している」という表現を、「環境Yが生物Xの祖先種に自然淘汰を及ぼし、特殊化を促すことでその進化を導いた」ということと同義だとして扱う。しかし、「適応」という表現を人間や社会に対して使う場合、これとは少し異なる意味で使われる。

人間の行動パターンにおける「適応」は、「進化時間」「歴史時間・文化時間」「生活時間」の3種類の時間スケールで考える必要がある。

「進化時間」での適応とは、生態学や進化生物学における適応のことであり、そのほとんどは、遺伝的なプログラムによってDNAに書き込まれる。例えば、私達の糖への強い好みは、この時間軸での適応で説明できる。

「歴史時間・文化時間」的適応は、DNAに書き込まれるのではなく、文化的な媒体・経路 (伝承、教育、宣伝など) を通じて、個体間で学習・模倣され社会に定着するプロセスのことである。例えば、肥満を避けたり、ワークアウトのブームなどは、この時間軸での適応で説明できる。

「生活時間」的適応は、もっと短い時間スケールにおける適応行動であり、その場において効用を最大化するような行動を取ることを指す。山で遭難した際に、積極的に糖を摂取するなどの行動は、この時間軸での適応で説明できる。

この様に、三つの時間軸における合理性が互いに絡み合う形で、私達の行動に影響を与えている。

2. 適応主義的分析の利点と危険性

適応という視点で人間の行動を考えると何が嬉しいのか?

一般に、システムの特性を研究する上で、そのシステムが何の役に立っているのかを考えることは、科学的に有効な発見の道具として働く。例えば、17世紀の生理学者バーヴェイは、循環という機能を実現するためにポンプの弁の様な器官が必要なはずだという仮説から、心臓の弁を発見した。

また、人類のことを全く知らない異星人が時計の機能を調る場合、時計を分解して細部を調べるよりも、時計がどのようなシチュエーションで利用されているかを調べるほうが、時計が何であるのかを理解する近道だろう。

一方で、この視点は、重大な誤りを導く可能性も含んでいる。グールドやウォンティンなどの論者がいうように、進化の過程における単なる副産物に、もっともらしい適応的意味を見出してしまう危険性を論じている。

3. 生き残りのためのシステムとしてのヒト

システムとは、相互に影響を及ぼしあう要素から構成される、まとまりや仕組みの全体を指す。人間の社会行動は非常に複雑で、互いに矛盾するように見えることもあるが、全体としての行動は「生き残りのためのシステム」として理解できるという視点が、本書を通底する基本的な立場である。

4. ヒトは自然環境に適応するために群れを作り、群れで生き残ることに最適化した

類人猿は、自然環境に適応するための手段として群れを選んだ。その結果、群れにどのように適応するかという、もう一つの適応問題が生じた。

霊長類学者のダンバーは、様々な種類の霊長類の大脳新皮質の大きさが、それぞれの種の平均的な群れのサイズに比例することを発見した。また、霊長類学者のバーンらは、大脳新皮質の大きさが、個体間で「戦術的なだまし」が見られる頻度とも直線的に関係することを示した。バーンは、このことから、自分と同じくらいの知性を持つ個体が身近に存在し、互いが今日良くしたり競争したりするような複雑な社会こそが、霊長類の知性の起源であると主張した。

つまり、大脳新皮質のサイズが大きい種ほど、複雑な協力関係を築き、群れのサイズを大きく保つことができ、群れのサイズが大きい種ほど、自然環境に適応できる。その結果、大脳新皮質のサイズが大きい種が生き残りやすくなるという正のフィードバックループが働くということだろう。

第2章 昆虫の社会性、ヒトの社会性

1. 社会的昆虫は強い血縁社会で生きているので、群れが生き残ることに最適化する

集団の意思決定を題材に、ハチやアリの社会的知性とヒトの社会的知性の共通点と相違点を確認する。

集団的意思決定は、人間に固有なものではなく、社会的昆虫、魚類、鳥類、食肉類、霊長類などにおいてかなり広く認められる。

例えば、ミツバチが引っ越し先を集団的に意思決定する際は、「行動の同調」と「評価の独立性」をうまく組み合わせることによって集合知を機能させ、全体最適にたどり着く。

2. ヒトは弱い血縁社会で生きているので、個人の生存に不利な行動パターンは定着しない

社会学者サルガニクらが行った「文化市場」と「スーパースター現象」に関する実験。楽曲のダウンロードサイトを作り、他者の評価を参照できない個人条件での人気投票と、他者の評価を参照できる社会条件での人気投票を行った。個人条件での投票結果は、その楽曲の本質的な良さを表すと考えられる。一方、社会条件での投票結果は、集団的意思決定の結果と考えられる。結果、個人条件での結果と社会条件での結果との間には緩やかな相関関係しかなかった。本質的に良い楽曲はヒットしやすいし、本質的に悪い楽曲はヒットしにくいのは確かだが、駄作がヒットすることも、良作がヒットしないこともある。専門家でも何がヒットするかを予測することは難しい。

この様に、ミツバチが他者の行動に同調してしまうものの、評価の独立性は保つのに対して、ヒトは行動も評価も他者に同調してしまう。この違いは、社会の作り方の違いに由来する。社会的昆虫は非常に強い血縁社会で生きているので、群れが生き残ることに最適化している。つまり、群れの全体最適のために「評価の独立性」という個体の行動パターンを獲得したのだ。一方、ヒトの群れはそこまで強い血縁社会ではないので、群れが生き残ったとしても個体として生き残らない限り遺伝子を残すことができない。そのため、たとえ群れの全体最適に資する行動であったとしても、個人の生き残りに不利になるような行動は定着しない。つまり、周りの評価を無視して、自分の目だけを信じて判断を下すことはヒトの生存戦略上不利な性質なのだ。だから、ミツバチのように群れレベルではなく、個体レベルで自然淘汰が働くヒトにとって、集合知を生み出すための必須条件である「評価の独立性」を保つことは極めて難しいことになる。

この様に、ヒトは、他の個体の示す様々な行動や状態に対して非常に敏感で、共感性や利他性などのプラスの反応、あるいは、嫉妬、偏見、差別といったマイナスの反応を示す。

ヒトは大きな群れを構成することによって自然に適応した。ヒトは大きな群れを構成するがゆえに、群れにおける血縁関係は薄くなっていった。ヒトの群れは血縁関係が薄いために、全体最適な行動が定着しない。ヒトは、個別最適な行動を取るように遺伝的にプログラムされている。

第3章 「利他性」を支える仕組み

ハチの様に、強い血縁関係で群れを構成する種にとって、利他性は不思議な性質ではない。ヒトのように、群れの生存と個体の子孫を残すこととが直結しない種においては、どのようにして利他性という性質が生まれ、安定した協力関係が築かれているのだろうか?

1. 二者間の協力関係は互恵的利他主義 (reciprocal altruism) で説明できる

非血縁の相手との協力を生み出す仕組みとして、互恵的利他主義 (reciprocal altruism) が重要である。互恵的利他主義とは、特定の相手との間で、将来の見返りがあることを前提に、安定した協力関係を築くことである。

例としては、食料が足りない仲間に自分の食料を分け与えるチスイコウモリや、大型魚と掃除魚の協力関係などがある。チスイコウモリが協力するか否かの判断基準は、血縁関係ではなく、借りがあるかどうかだ。

互恵行動が合理的な行動であることは、ゲーム理論 (繰り返しゲーム) 的にも示されている。

互恵的利他主義が成立するためには、個体の認識、個体の行動の記憶、協力するか否かを選択する自由など、高度な認知的・行動的能力が必要である。

2. 社会的ジレンマ (social dilemma) は、互恵的利他主義では解決できない

共有地の悲劇の様に、他人を出し抜いた方が短期的には有利(=適応的)だが、全員が掟破りをすると全体として不利益を被ってしまうような状況がある。このように、個人の利益と社会全体の利益とが一致しないこのような事態を一般に社会的ジレンマ (social dilemma) という。この様な状況においては、互恵的利他行動をとったとしても、掟破りな行動に対して、「目には目を」の連鎖が広がるだけで、何の解決にもならない。

3. 規範と罰だけで社会的ジレンマを解決しようとすると、高次のジレンマ問題にぶち当たる

では、非血縁的集団でどの様に社会的ジレンマを回避しているのか?社会規範と罰によって、社会的ジレンマを回避していると思われる。

規範はどのような条件でうまく働くのか?

規範の存在が社会の存続の役に立っているから、規範が維持されるという説明の仕方がある。こういった説明の仕方を社会学などで機能主義というが、これはおかしい。社会は意思を持たない。規範を守るのは社会ではなく個々の行動主体なのだから。

では、どうやって個々の行動主体に規範を守らせれば良いだろうか?教育、警察、法などとともに、社会的な制裁 (sanction) 装置も欠かすことができない。

では、どうやって制裁装置を維持すれば良いだろうか?制裁を加えたり、制裁装置を維持するのにもコストは掛かる。このコストを払うか払わないかをめぐり、また、社会的ジレンマに陥る。これを「高次のジレンマ問題」「ただ乗り問題 (free-rider problem)」という。

しかし、実際の私達の社会では、制裁は機能し、規範は維持されているように見える。これはなぜなのだろうか?

4. ルール違反への嫌悪、罰することの快楽、他者の目への敏感さが、高次のジレンマ問題を解決する

mas178.hatenablog.com

  • 罰がない状態では、人が社会的ジレンマを解消することは難しい。
  • 罰の導入によって、人の協調性は格段に向上する。
  • 罰することに何の見返りがない場合でも、逆に自分が損する場合でも、人は不正を見つけると罰を与えたがる性質がある。但し、その行動が実際に発現するかどうかには、かなりの文化差・社会差が見られる。
  • 進化時間的に人間の心には、規範と罰への敏感さが組み込まれているようだ。規範に敏感だから、そもそも、ルール違反が起こりにくいし、ルール違反が起きにくいので、罰するコストは低くてすむ。この様に、規範は維持されていく。

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  • 多くの動物も目に敏感な反応を示すが、それは捕食者への警戒反応だ。
  • しかし、ヒトの示す、目への反応は社会的な反応だ。捕食者にではなく、同種他個体の「みんな」に見られているかもしれないということに、敏感に反応している。そして、社会規範からの逸脱を避ける。

5. 感情に駆られて罰し、感情が罰に実効性をもたせる

  • ルール違反への怒り、罰に駆られる感情、罰を与えた後の快楽は、脳科学的にも観測されている。
  • しかし、この様に感情に駆られて行動するのは、個人の生物的な適応度を下げてしまうのではないだろうか?
  • そのようなことはない。非合理であろうと怒りに駆られて罰っする可能性があるということが、抑止力として働き、非協力的な行動やルール違反を未然に防ぐのだ。
  • 社会的な関係を上手く築くには、リスクに関する直感 (眼窩前頭皮質) が重要。

6. 二者に閉じない助け合い (間接互恵性) は「評判 (reputation)」の働きによって支えられている

  • ここまでは、規範と罰の観点から利他行動や協力について考えてきた。これらは、自分が困っているときに同じ相手から助けてもらう可能性を踏まえた協力関係だ。これを互恵的利他主義という。
  • しかし、道端に倒れている病人や、道に迷っている人への手助けなど、二度と会うことのない相手への協力は、互恵的利他主義では説明できない。こういった「二者に閉じない助け合い」は、進化生物学で「間接互恵性 (indirect reciprocity)」と呼ばれる。
  • 間接互恵性は、チンパンジーボノボなどの他の霊長類を含め、ヒト以外の動物ではほとんど観察されていない。
  • 間接互恵性は「評判 (reputation)」の働きによって支えられていると考えられている。

7. 自然な利他的行動の噂 (ゴシップ) が評判を高め、評判の高低が「対人マーケット」での勝敗を決める

  • ヒトはゴシップが大好きだ。ダンバーによれば、ヒトのゴシップは、猿の群における毛づくろいと同じ役割を果たす。どちらも群れの連帯感を高める機能を持っている。
  • ゴシップには連帯感を高めるだけでなく、ヒトの評判を決める機能がある。評判とはつまり利他性の高さであり、見返りがない利他的行動の方が、より評判を上げることができる。
  • ヒトの社会は「対人マーケット」であると言え、付き合う相手として安定的に選ばれ続けることが、個が生存していく上で重要だ。そして、選ばれ続けるには、評判が良くなくてはならない。
  • 評判を上げるには、自然な利他的行動が重要。進化的時間では、単純に情に流されて他人に親切にする人の方が上手く評判を上げることが多い。逆に、計算高く自己宣伝する人がボロを出してしまうこともある。
  • だが、文化・社会的時間では、また別の適応圧力が働き、優秀な人・能力の高い人が対人マーケットで選ばれる傾向がある。

第4章 「共感」する心

1. 身体模倣によって相手の意図や感情を理解するメカニズム

  • 「共感」という現象は、人間的な「思いやり」だけでなく、身体模倣や情動の伝染などを含む重層的なシステム (empathetic systems) であり、ヒトだけでなく他の動物にも見られる。「共感」は分子科学神経科学・認知科学・行動科学にまたがる研究テーマである。
  • 相手が微笑すると、ついこちらも微笑してしまうような現象を、表情模倣 (facial mimicry) という。喜怒哀楽などの基礎的な感情表出全般について、広く起こることが分かっている。この様な同期・模倣現象は、身体の動作や姿勢、話すスピード、声の高さにも認められ、また、他の霊長類にも見られる。こういった模倣現象を担う神経細胞ミラーニューロンと呼ばれている。
  • Murata 2016 の実験。人の感情を推測するように指示されたグループと人の年齢・体型を推測するように指示されたグループ。前者の方が後者よりも、自動的な表情模倣が起こる。
  • 身体・神経レベルの共振・同期は、無意識・自動的に起きる現象だが、他者の心を理解するうえで重要な基盤となっている可能性が指摘されている。相手をマネすることによって相手の意図や感情を理解しようとするメカニズムが人には備わっている。こういったメカニズムは身体化された認知 (embodied cognition) と呼ばれる。

2. オキシトシン (Oxytocin) による情動伝染

  • 身体が同期するように、情動についても同期・増幅現象が見られる。例えば、自分が痛みを経験している時と、他人の痛みを見ている時とで、同じ様に神経的に処理されている。こういった現象は、親密性の高い個体間では起こるが、好感の持てない相手との間では生じない。
  • 相手を思いやる利他行為はヒト以外の哺乳類にも広く見られる。
  • 情動伝染に関わるホルモンとして、近年、オキシトシン (Oxytocin) の働きに注目が集まっている。オキシトシンは、親子間、ヒト=イヌ間などで、情動反応に大きな影響を与える。
  • 社会心理学者ドゥ・ドゥローの実験。オキシトシンをスプレーされたグループとプラセボをスプレーされたグループ。双方のグループで、不正行為を行うことによって他者に貢献する行為の選択頻度を調べた。前者の方が利他的行動の選択頻度が高い。利他的でない単なる不正行為の選択頻度に関しては、前者後者で差がなかった。

3. 内集団を限界とする情動的共感と、外集団に広がる認知的共感

  • 人間の共感には、情動的共感と認知的共感がある。
  • 情動的共感は、自他の壁がなくなり、他人の感情を自分のものであるかの様に感じる、自他融合的なプロセスを特徴とする。これが高すぎる場合は、情動に流されてしまい、合理的で本当に相手のためになる行動が取れないこともある。このタイプの共感が働きやすいのは、母子間や血縁グループ、友人など。こういった集団を内集団 (ingroup) という。情動的共感が自然に働く範囲が、内集団の範囲である。
  • 認知的共感は、客観的に相手の心的な状態を読み取り、その気持に沿った適切な行動を取るような共感能力。認知的共感は自他分離的なプロセスを前提としている。認知的共感は詐欺師の共感、クールな共感と言うとイメージしやすいかもしれない。外集団 (outgroup) への協力行動は、認知的共感によって担われる。

4. 認知的共感を支えるメンタライジング・ネットワーク

  • 誤信念課題 (false belief task):「二人の子供サリーとアンが遊んでいる。サリーは遊んでいた人形を箱の中に入れて外出した。留守の間、アンが人形をベッドの下に移した。さて、部屋に戻ってきたサリーは、人形遊びを再開するために、最初にどこを探すでしょうか?」という課題。大人にとって「箱の中」という答えは自明だが、三歳ぐらいまでの子供は「ベッドの下」と答えがち。
  • 誤信念課題に正しく答えるためには、他者が自分と違う信念を保つ場合があることを理解し、異なる信念に基づく他者の行動を正しく予測する能力、つまり認知的共感能力が必要である。そのためには、大脳新皮質の側頭頭頂接合部(TPJ)、前頭前皮質内側部(MPFC)、楔全部(PREC)などの部位が関与することが分かっている。これらはまとめて、メンタライジング・ネットワークと呼ばれる。このネットワークが成熟するには思春期に至るまでかなりの時間がかかる。
  • 自分が身体的苦痛を感じているときに活性化する神経回路と、他者の身体的苦痛を観察しているときに活性化する神経回路は同じである (情動的共感)。自分が社会的苦痛を感じているときに活性化する神経回路と、他者の社会的苦痛を観察しているときに活性化する神経回路は別である。他者の社会的苦痛を観察しているときには、メンタライジング・ネットワークが活性化する。社会的苦痛は情動的な共感ではなく、認知的な共感を生み、認知的共感は、理性的な問いと思考を生み、即座に思いやりのある行動を生むわけではない。

第5章 「正義」と「モラル」と私たち

  • 本章では、社会のあり方に無関心ではいられない、政治的存在としての人間を動かす、正義やモラル (正しい分配のあり方) に関する感受性の性質と働きを見ていく。
  • 正義は人の数だけ存在するのに (価値相対主義)、正義について議論するのはナンセンスだという考え方があるが、本当だろうか?

1. 「いかに分けるか?」という問題への答えの一つに「功利主義 (utilitarianism)」がある

分配をめぐる議論のなかに、功利主義と呼ばれる哲学がある。トロッコ問題やトリアージの問題のような分配の正義 (distributive justice) の問題において、最大多数の最大幸福を目指す考え方だ。功利主義的な考え方が、ヒトの素朴な直感や感情にどの程度馴染むのかは、まだほとんど研究が進んでいない。

2. 分配の規範は社会・文化によって規定される

mas178.hatenablog.com

  • 分配の原理は、社会・文化レベルの要因によって規定されている。
  • 市場経済に馴染んでいる者にとって、「等きものは等しく」という市場の倫理が当たり前の規範として作用する。この規範に反するとアンフェアとみなされ、感情的な罰の対象となる。
  • しかし、市場経済に馴染まない者にとって、内集団を大事にする行動こそが正義であり、誰に対しても等しく振る舞う普遍主義は不道徳となるのかもしれない。

  • 道徳規範とは、平和で安定した協力関係をどのように作るかというホッブズ以来の秩序問題を解くための、「生き残りのためのシステム」である。例えば、ビジネスマンには市場の倫理があり、官僚・軍人には統治の倫理がある。

  • 松尾・巌佐 2014 の商人道/武士道/寄生者ゲーム。一つの倫理だけが存在する社会は安定的だが、二つの倫理が拮抗すると社会は安定しない。
  • この実験では、進化ゲーム理論が使われている。進化ゲームとは、様々な行動を戦略として定式化した上で対戦させ、他と比べて利益の上がる戦略が次第に集団で増えていくという、生物進化のアナロジーから集団のダイナミクスを調べようとするアプローチである。

3. ヒトの脳は進化時間的な適応によって、格差を嫌うようにできているという仮説

  • 行動経済学者フェアらは、そもそもヒトは自他間の不平等に無関心ではいられない存在であると論じている。特に自分が不利な状態での不平等には敏感に反応し、効用が激減する。そして、自分にとって有利な不平等だったとしても、効用は下がる。

4. ロールズのマキシミン原理 (maximin principle)

  • 総効用は大きいが格差も大きい政策Aと総効用は小さいが格差も小さい政策Bはどちらが優れているか?
  • 「どのように分配するのが正義か?」という問題を、ロールズは「原初状態において、人々が無知のヴェールをかぶっていると仮定した場合、人々はどのような分配原理を望ましいと考えるか?」という問題に置き換えて考え、この問題に対して、人々が選択する分配の形が「万人を等しく公平に扱う正義の原理」となるはずだと論じた。
  • そして、その結果として、「社会の中で最も不遇の人々にとっての利益を最大化する政策」を生み出す様な基本原則が正義の原理として「全員一致」で合意される。この原則を最小 (minimum) を最大化 (maximize) するという意味のマキシミン原理 (maximin principle) と言う。

5. ラボ実験とfMRIでマキシミン原理 (maximin principle) 的な傾向を持つ神経基盤が確認された

ロールズの思考実験は「社会的分配に関する意思決定」と「リスクを含む意思決定」という二つが絡み合った状況 (ギャンブルなどがその典型) に抽象化することができる。そして、このような状況で人は「マキシミン的な思考」を自発的に行うかどうかを確認することはできる。

著者の2016年の実験 (原文) で、全員一致でマキシミン原理を採用するようなことは起こらないものの、ヒトは生得的に、最も不遇な場合のことを考えてしまう神経基盤を持っていることが確認された。

6. 「私 vs 私たち」の問題 ── 正義は個人を超える

  • グリーン『モラル・トライブズ』の中で、モラルとは、生き残りのために共有地の悲劇を解く仕組みだと論じている。
  • 共有地の悲劇は、「私」の利益と「私たち」の利益が一致しないという、社会的ジレンマだった。
  • この社会的ジレンマを解く仕組みは、「完全共産制」「完全私有地制」「社会民主制」など (モラル・トライブズ) があるが、それらのベースは進化的適応によって形作られた自動的な感情の動きである。よって、この意味では正義は、人の数だけ存在するとは言えず、正義は個人を超える。

7. 「私たち vs 彼ら」の問題 ── 正義が国境を超えるためには功利主義 + α が必要

  • グリーンは、モラル・トライブズ間の共通基盤としての正義 (メタモラル) として、功利主義が使えるのではないかと論じている。これは、進化的時間でプログラムされた戦略ではなく、人間が意識的に採用していく戦略として提案されている。
  • メタモラルとしては、功利主義だけでは完結せず、ロールズ実験で明らかになった、最不遇の状態に身をおいて考えてしまうヒトの習性を組み合わせが必要なのかもしれない。
  • この様なメタモラルは、整然としたロジックによって構築されるのではなく、深い実用主義 (Deep Pragmatism) によって構築される妥協的なものになる可能性が高いだろう。
  • 「今・ここ・私たち」に支配される「ヒトの心」を所与として、いかに「未来・あちら・彼ら」を含む「人の社会」を設計するのか?人文社会科学に課せられた課題だ。